ノートの効力とTo do帳
今日から3泊4日のマドリッド滞在。
ロンドンよりも暖かいが時間の流れ方は若干早めに感じる。
東京の雰囲気と似ていると感じます。
夕方の便で到着したため、ホテルの周りをぶらぶら歩いたあと、パエリアを早速いただきました。
やっぱりおいしい!!
マドリッドに来る前のヒースロー空港でモノスキンのノートを購入。
以前からビジネスアイデアなどをいらない紙の裏に書いていたのだが、それを一旦やめることにしてみました。ちょっと高め(13ポンドくらい)のノートを購入後、飛行機の中で早速アイデア整理。
一旦書き出すとどんどんアイデアが出てくる。それと同時にやらなくてはいけないことが整理されてとてもすがすがしい。ものを書くという作業は自分の考えをまとめるだけでなく脳に刺激を与えるのではないかと最近強く感じている。
僕はアイデアを書き出すことも好きなのだが、それと同時に日常の習慣としているノート術がある。それはTo Do帳である。今後やらなくてはいけないことをどんどんノートにリスト化し、終わったらその項目を2重線で消していくという習慣。
高校時代(大学受験の1ヶ月前)からTo Doリストを作るようになったのだが、それは受験勉強で数学や物理に偏りがちだった自分の勉強をバランスよくほかの教科にも振り分けたい、というのが最初の動機だった。
昔から「逆算人間」だった僕は、まず最終的なゴールを指定した上でそこにいたるために必要なプロセスを書き出し、そのプロセスに必要なことをまたどんどん書き出すということを繰り返し、どんどん再分化した結果毎日の生活で行わなくてはいけないことを決めていた。
<例>
大学受験では「○○大学に合格」するためには自分の現状で足りないものを補い、さらに得意分野も伸ばす必要がある。足りないものを補う方が得意分野の得点率を伸ばすよりも短期間での効率は高いと考え、苦手の化学の問題を多めに行い得意の数学の問題は現状維持を目的に数問に押さえる。その結果を「英単語10単語記憶」とか「数学の参考書の練習問題を5問」という形で書き出し、その勉強が終わったら二重線で消す。そして寝る前にその日に行った勉強の進行に基づいて次の日に行う勉強項目を書き出す。それを毎日繰り返し、1週間に一度全体のバランスを見直す。
To Doリストという言葉の存在は大学の後半になるまで知らなかったので、それまでは自分が考え出した「スペシャル」なツールだと思っていた。
To Doリストの根本は、リスト化によって「やらなくてはいけないこと」を「心の中に記憶させる」のではなく「ノートに記憶してもらう」という発想。人間の記憶には数的限界、そして時間的限界がある。気がついたら何をやるべきだったかを忘れてしまう。そして後に「ああ、わすれてた」と気づかされる。そういう時は大抵手遅れなことが多いのだが。
するとそういう失敗から、「今度は忘れないようにしよう」と自分に無駄なプレッシャーをかけてしまう。それが最終的にはストレスにつながる。自分の頭の中の動きを「考える」ことに集中させたくても「覚え続ける」ことにどうしても神経が行ってしまい、結果として「考える」と「覚え続けること」が共に中途半端になりやすい。考えることは自分にしかできないのだから、覚え続けるという作業をほかのものに「委任する」のがベストなチョイスだと思う。To Do帳はその一つの解決策です。
たまにパソコンや携帯でTo do帳をつける人がいますが、僕は断然手書き派。小さなノートにボールペンで書き込む。理由はいつでもどこでも思いついたときにすぐに書き出せる上に、終了した際にその項目を消す作業が一つのアッハ体験(楽しい、うれしいと思う感情)を生み出し、自分の中に満足感を与えることができるからだ。
最近忘れ物が多い、やることが多くて自分が何か遣り残していないか心配でしょうがない、考えるということに集中したい、そう思うことが少しでもある人はぜひTo do帳をつけてみてください。仕事の効率が上がる上に漠然としたストレスがなくなり気持ちのいい毎日がおくれるかもしれません。
これから僕の前にはTo Do帳とアイデア帳の2冊のノートが置かれることになりました。
To do帳に少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ下のリンクをクリックお願いします。
0 件のコメント:
コメントを投稿