0020/02/28

KISEKI @Madrid

今日はプラド美術館へ、。
エルミタージュ美術館、ルーブル美術館にならぶ三大美術館ということで有名な美術館で奇跡が。

作品はほぼ望んでいたものが見れました。
今回一番見たかったのはヒエロニムス・ボス作の「患者の医師の切除」という絵。
本来あるはずのない頭の中の石を医者が切除するというシーンを描いている。
頭の石は大衆の愚かさや無知を表し、それをもっともらしく治療するという名目でお金を得る医師はモラルにかけているということらしい。そのため、別名で「いかさま」というように呼ばれることもある。

なぜこれが見たかったかというと、いわゆる健康・美容系の商品やサービスの中には消費者の医療知識がないことをいいことに体に効くという証明がされていないものを高い値段で売っている会社が多いことをある意味示しているのかなと思っていたからだ。絵で描かれている医者は医者だけにとどまらずさまざまな職種の医療関係のビジネスを行う人たちに当てはまる可能性がある。もちろん多くの医療関係者はしっかりと勉強もして患者や健康に困っている人に対して誠実にサービスを提供している人たちだ。しかし中にはお金儲けが頭の中心にきてしまったために本来大切にしなくてはいけない「人々の健康」というゴールを忘れてしまっている人もいるように感じる(ネーミングセンスが抜群の僕の友人はそれらのあやしいサービスを「呪術」と評していたが・・・)

今後起業にあたり呪術的なサービス提供にならないように自戒の意味も込めてその絵をしっかりと見てきました。


おまけとして、マドリッド・プラド美術館で起こった奇跡について。

作品を見終わってからカフェテリアに向かう途中で一人の日本人とすれ違った。
なんとなくどこかで見たことがある人だった・・・しかし思い出すことができずにカフェテリアに。すると彼もしばらくしてそのカフェテリアへ。何度見てもどこかで見た顔。でも思い出せない。

まあ、似てるだけだろうし、縁もゆかりもないマドリッドで医療という小さい世界に生きてきた僕の知り合いがいるわけがない。


そう思っていたら彼が僕の座っていた席の方へ様子を伺いながら近づき、「○○大学にいらっしゃいませんでしたか?」と丁寧にたずねてきた。



ああ!!!



大学の1年後輩だ。

1学年80人しかおらず、海外出張もまずない職種にみんな就くうちの学部の知っている後輩に平日のマドリッドの美術館で逢った・・・間違いなく奇跡です。


病院の休暇でスペインに1週間滞在中とのことだ。

偶然ってあるもんですね。


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0020/02/27

ノートの効力とTo do帳



今日から3泊4日のマドリッド滞在。

ロンドンよりも暖かいが時間の流れ方は若干早めに感じる。
東京の雰囲気と似ていると感じます。

夕方の便で到着したため、ホテルの周りをぶらぶら歩いたあと、パエリアを早速いただきました。
やっぱりおいしい!!

マドリッドに来る前のヒースロー空港でモノスキンのノートを購入。
以前からビジネスアイデアなどをいらない紙の裏に書いていたのだが、それを一旦やめることにしてみました。ちょっと高め(13ポンドくらい)のノートを購入後、飛行機の中で早速アイデア整理。
一旦書き出すとどんどんアイデアが出てくる。それと同時にやらなくてはいけないことが整理されてとてもすがすがしい。ものを書くという作業は自分の考えをまとめるだけでなく脳に刺激を与えるのではないかと最近強く感じている。

僕はアイデアを書き出すことも好きなのだが、それと同時に日常の習慣としているノート術がある。それはTo Do帳である。今後やらなくてはいけないことをどんどんノートにリスト化し、終わったらその項目を2重線で消していくという習慣。
高校時代(大学受験の1ヶ月前)からTo Doリストを作るようになったのだが、それは受験勉強で数学や物理に偏りがちだった自分の勉強をバランスよくほかの教科にも振り分けたい、というのが最初の動機だった。

昔から「逆算人間」だった僕は、まず最終的なゴールを指定した上でそこにいたるために必要なプロセスを書き出し、そのプロセスに必要なことをまたどんどん書き出すということを繰り返し、どんどん再分化した結果毎日の生活で行わなくてはいけないことを決めていた。
<例>
大学受験では「○○大学に合格」するためには自分の現状で足りないものを補い、さらに得意分野も伸ばす必要がある。足りないものを補う方が得意分野の得点率を伸ばすよりも短期間での効率は高いと考え、苦手の化学の問題を多めに行い得意の数学の問題は現状維持を目的に数問に押さえる。その結果を「英単語10単語記憶」とか「数学の参考書の練習問題を5問」という形で書き出し、その勉強が終わったら二重線で消す。そして寝る前にその日に行った勉強の進行に基づいて次の日に行う勉強項目を書き出す。それを毎日繰り返し、1週間に一度全体のバランスを見直す。

To Doリストという言葉の存在は大学の後半になるまで知らなかったので、それまでは自分が考え出した「スペシャル」なツールだと思っていた。

To Doリストの根本は、リスト化によって「やらなくてはいけないこと」を「心の中に記憶させる」のではなく「ノートに記憶してもらう」という発想。人間の記憶には数的限界、そして時間的限界がある。気がついたら何をやるべきだったかを忘れてしまう。そして後に「ああ、わすれてた」と気づかされる。そういう時は大抵手遅れなことが多いのだが。

するとそういう失敗から、「今度は忘れないようにしよう」と自分に無駄なプレッシャーをかけてしまう。それが最終的にはストレスにつながる。自分の頭の中の動きを「考える」ことに集中させたくても「覚え続ける」ことにどうしても神経が行ってしまい、結果として「考える」と「覚え続けること」が共に中途半端になりやすい。考えることは自分にしかできないのだから、覚え続けるという作業をほかのものに「委任する」のがベストなチョイスだと思う。To Do帳はその一つの解決策です。

たまにパソコンや携帯でTo do帳をつける人がいますが、僕は断然手書き派。小さなノートにボールペンで書き込む。理由はいつでもどこでも思いついたときにすぐに書き出せる上に、終了した際にその項目を消す作業が一つのアッハ体験(楽しい、うれしいと思う感情)を生み出し、自分の中に満足感を与えることができるからだ。


最近忘れ物が多い、やることが多くて自分が何か遣り残していないか心配でしょうがない、考えるということに集中したい、そう思うことが少しでもある人はぜひTo do帳をつけてみてください。仕事の効率が上がる上に漠然としたストレスがなくなり気持ちのいい毎日がおくれるかもしれません。

これから僕の前にはTo Do帳とアイデア帳の2冊のノートが置かれることになりました。

To do帳に少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ下のリンクをクリックお願いします。

魔笛@Royal Opera House



今日はRoyal Opera Houseにて魔笛鑑賞。日本への帰国前最後のオペラとなります。
モーツァルトの最後のオペラでメルヘンチックなこの作品、夜の女王のアリアやパパゲーノのアリアあたりが有名ですが、それを堪能してきました。このオペラにはフリーメイソンの思想も若干入っているそうですが、そんなことを知っていようがいまいが、楽しむことができる初心者向けのオペラです。

2週間前のウィーン国立歌劇場との比較で言うと、ROHの方が僕は好きです。とにかくオーケストラの音がやさしい。歌手をよさを消してしまっていたウィーンに比べるとずいぶんと安心感があり、話の流れに集中していけました。

そして今回の魔笛で最大の感動はその演出。
予習もかねてNYのメトロポリタンオペラの魔笛DVDを見てから行ったのだが、演出のレベルに大きな差があった。もちろんDVDの作られた時期と今では技術的にずいぶんと違うとは思うのだが、Royal Opera Houseの演出は本当にかっこいい。光の使い方、宮殿の柱の色、衣装の選択、どれをとっても完璧でした。全体に黒みがかったセットに太陽の光を思わせる光が筋となって差し込んでくる…ここまで来ると演出も一種の絵画となります。

もちろん歌手のレベルもすばらしい。
パパゲーノを演じたChristopher Maltmanの歌も非常によかったし、ヒロインであるパミーナのGenia Luhmeierもすばらしい。ザラストロを演じたStephen Millingもよかったのだが、もう少し低音部分で迫力がほしかったかな。夜の女王のErika Miklosaの高音部はこのオペラの最大の見所であったがしっかりと迫力のある歌いっぷりでした。

ヨーロッパにいることのすばらしさ、オペラやクラシックに簡単に触れられるという気軽さ、それらにうらやましい…
残念ながらまもなく日本への帰国となってしまいますが、チャンスがあればぜひヨーロッパでの生活をまたしたい。もちろん今度はもう少し金銭的に余裕を持って。仕事以外に私生活でも一つの目標ができました。

明日からマドリッドに行ってきます。
美術館はプラドとソフィア、そしてちょっと足を伸ばしトレドにも行ってきます。

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0020/02/24

シントラ


ポルトガル旅行2日目はシントラへ。
シントラの文化的景観、ということで世界遺産にも指定されている。

シントラはリスボンから電車で40分。ちょっと寂れたポルトガルの都市を見ながらぼーとしているとあっという間に到着。
ここでの見所は王宮、ムーア城跡、そしてペナ宮殿。


シントラ駅の前に止まっているシントラ観光名所めぐりバスに乗り込み、まずはムーア城跡へ。日光のいろは坂を思わせるようなくねくねとした山道を登ること約10分ほどして城跡の入り口のバス停に着いた。

入り口は苔がいい具合に生えた扉。
ここから山道をのぼり城跡の城壁へと向かう。


途中の道は舗装はされていないもののしっかりと整備されている一本道。城壁を思わせる石の壁をところどころに見ながら10分ほどの山登り。石垣は若干形が違うが、苔の感じが日本の城跡とよく似ている。




山登りの後、本格的に城壁全体が見えてくる。
天気はあまりよくなかったが雨は降っていなかったので助かった。

ポルトガルの旗がいくつか掲げられており、城壁沿いを歩くことができる。


城壁の通路からシントラの町を望むことができる。
中国にある万里の長城の小さいバージョンとどこかのHPで書かれていた。実際に中国に行ったことがないのでその表現がどこまで正しいのかわからないが、一面に広がる緑と所々に存在する市街地を一望でき、とても気持ちいい。さらに山奥のため空気がおいしい。



来た道を戻り次に向かうはペナ宮殿。
ピンクや黄色で彩られてとても華やかな宮殿。

先ほどのムーア城跡とは異なり、山道を自分で登る必要はなくバスで目的にまで連れて行ってくれる。


宮殿の入り口はつり橋になっていて、中世の雰囲気を味わえる。

宮殿内は王族が昔使っていた部屋や家具、食器などの展示館となっている。写真撮影は禁止されていたので写真はないが、最近行ってきたシェーンブルグ宮殿やベルサイユに似ていた。


宮殿からバスを使わず徒歩で下山を試みた。
そして見事に失敗。迷子になってみた。

宮殿の次は王宮へ。
ここも宮殿同様に中は王族の生活の様子を展示した博物館のようになっている。
観光客の集団が多かったのが印象。

昔の王族の生活の様子を展覧してある博物館的な建物はヨーロッパではよく見るパターンだったなというのがこの2年間の感想。昔のことを知ることはとても興味深いが、何度も見ていると飽きが来てしまうのはきっと僕の教養のなさからでしょう。

王宮では山の天気は変わりやすいという言葉どおり、突然の大雨に遭遇。
城跡のような屋根のない山道で雨に降られなかったことに感謝。


ポルトガルは僕にとっておそらく一生のうちに何度も来るところではないだろう。
しかし一度来てたくさんの名所や芸術に触れられたことは間違いなく人生のプラスになった。
そしていつもと違う環境下で自分のビジネスを考え直すいい機会ともなりました。

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0020/02/23

リスボン


今週はポルトガルへ。
ポルトガルといえば大航海時代とエッグタルト!
(それしかイメージが出てこないのか、と自分でもがくぜんとしてきますが)

今回のポルトガル旅行ではリスボンに滞在し、リスボン周辺の建築物や街の周りを楽しむと同時に世界遺産に登録されているシントラという地域にも足を伸ばしてきました。

今日はそのうちのリスボン旅行記を。

リスボンでの見所として設定したのはこれまた世界遺産として登録されているベレン地区にあるジェロニモス修道院、ベレンの塔です。

ジェロニモス修道院にはかの有名なバスコ・ダ・ガマのお墓があります。
ウィーンなどで乗ったトラムに似た市電に乗ること30分で到着。

ファサードの迫力はそれほどないが、とりあえず中へ。




中にあるのはとても重厚な雰囲気の漂う大きな教会。
マヌエル建築の最高傑作、らしい…(これまた知識がなくて実際のところどんなものかはわからないが、とにかくすばらしかった)




そんな教会のなかにはバスコ・ダ・ガマのお墓。
彼の偉業を示すかのようにお墓の中心には帆船をイメージしたマークがきっちりと刻まれていました。





そして一番の見所は回廊。
きれいな青空に照らされた柱や天井に張り巡らされている紋章をとてもきれいに見ることができました。



ジェロニモス修道院の後はベレンの塔へ。

海に浮かんだように見えるこの塔も世界遺産。
塔を囲むように緑あふれる公園が広がっていて、観光客だけでなく日光浴を楽しむ人、ジョギングする人の姿も。





修道院の近くには発見のモニュメントといわれる大きな記念碑が。大きな帆船の上に大航海時代に活躍した人たちが集うモニュメントで、いかにもポルトガルという雰囲気漂うものでした。



先端の人(エンリケ航海王子)が持っているものも帆船。

これから起業していこうという自分と姿をダブらせてみる…自分にとって帆船にあたるものはいったいなんだろう?MBA?医者としての資格や知識?それとも熱意か?


市街地に帰ってきて大量のシーフード料理を食べ満足。
来るまでのリスボンに対する期待値があまり高くなかったことも幸いし、思った以上に有意義な時間をすごせました。



明日はシントラ編をアップします。

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0020/02/19

Two-sided Market



現在取っているEconomics of Competitive Strategyというクラスがなかなか面白い。
話題は以前書いたPricingからIP管理、そしてこの2週間はTwo-sided Marketについて学んだ。

講義の名前からしてGame theoryや需要供給曲線を使いまくるのかと思っていたが、実際は違う。ベースとなっている経済学的知識はわかりやすいように要約し、実際のビジネスでその理論が使われているかということに注目した授業構成となっている。

Two-sided Marketとは属性が異なる2つの顧客を持つビジネススタイルのこと。たとえばゲーム業界がそう。任天堂を例に考えると顧客はエンドユーザー、そしてソフト開発会社となる。なんでソフト開発会社が顧客になるのかと疑問を持つ人もいると思うが、ファミコンのソフトを作るためにソフト会社は任天堂からチップを購入する必要があり、ゲーム小売価格の20%くらいを任天堂に支払う事となっていたからだ。2つの収入源を確保し、その結果ファミコン本体の値段をその当時の主要競合のものよりも数段安く設定でき、結果としてエンドユーザーが大量にファミコンというプラットフォームに参加した。(ファミコンの場合はソフト開発本数を限定し品質管理を徹底したり、自社によるソフト開発、マーケティングが大成功したというほかの要因も当然あったのだが)

その際に自社のプラットフォームをベースとするビジネスモデルでどちらからメインでお金を取るのか(Money-side)、その一方でMoney-sideのひきつけるために十分なもう一方の顧客(Subsidize-side)の数をどのように管理するか。それはPricingだけでなくIP管理(シェアリングorがちがちに保護)、参入タイミング、スイッチングコストなどなど、さまざまな要因の複雑に組み合わせながらマネージしていかなければならない。どっちをMoney-sideもしくはSubsidize-sideにするかというのも重要な要素(これはPrice Sensitivityをはじめとするいくつかの因子で決定します)。

AdobeのPDFフォーマットはなかなか面白いビジネスモデルで、2つの顧客層(ソフトを使って書類を読む人とソフトをつかって書類を作る人)のうち読み手からは一切お金を取らずユーザー数を増やすことを第一目標においている。その一方で売り上げはソフトを使って書類を作る人(Acrobatを使う人のこと)から。Acrobat Readerをつかって書類を読むユーザーを増やすことでPDF形式の書類の需要を増やし、その需要にこたえるべく書き手がお金を払ってAcrobatを購入する。

そんな例をたくさん扱いながら自身のビジネスモデルに役立てられるかを考えた。
でてくる、でてくる。(そのうちのいくつかは自分がやりたいビジネスとはちょっと違う方向に行ってしまうのだが)

何とか自分が本当にやりたいこと、顧客が望むこと、そしてちゃんとビジネスとして成り立つことを可能にするプランを作り上げるにはもう数段階のモデルチェンジが必要だと現在痛感している。その一つの答えとなるかもしれないTwo-sided marketの知識を得られたことは幸運だったと感じる。

明日からボツボツとリスボンに行ってエッグタルトでも食べながらビジネスプランを練ります。なにか新しいアイデアがポルトガルの空から降ってくることを期待して。


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0020/02/18

ニーズ≠買いたい



自身のビジネスを見直し中。
そこで必ず大きな壁にぶつかる。それは題名にもあるように「ニーズ≠買いたい」という問題だ。

いい商品やサービスがある、客のニーズもそこにある、しかし客がお金を払ってそれを獲得しようとするかどうかはまた別の問題。

今考えているビジネスがまさしくこの部分で引っかかっている。
客のニーズはどうやらありそうだ。
サービスに関してはできる限りいい物を提供しようと思うし、明らかに現状存在するものよりはいろんな面で優れていると思う。
問題はそれに対してお金を出そうと顧客が思うかどうか。

どうやって狙っている顧客層を引っ掛けてくるか…お金を払ってまで得たいと思えるような魅力あるサービスや商品を提供できるか…

悩みが深くなっていく今日この頃です。
一度今あるビジネス構想を完全に崩して一から考え直す方がいいのかも…
急がば回れ?

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0020/02/17

MBAインタビュー対策



このところ検索でLBS+インタビューという項目が多かったので、ちょっとそれについてコメントします。

MBA受験での山は3つ。TOEFL、GMAT、そしてインタビューです。
TOEFLやGMATに関しては根性で勉強してください。同時期に情報を交換できたり愚痴をこぼせる仲間を作っておくとがんばれることが多いです。

そしてインタビューに関しては「自分のありのまま」を表現する、ということがアドバイスでしょうか。

LBSにかかわらずMBA受験でインタビューの間確認されているであろうことは主に以下の4点。
1.その人のキャラクター
2.MBAを取る動機
3.エッセイとインタビューとの間に矛盾がないか
4.英会話力


1にかんしては簡単に言うと「この人は自分と同じ学校の卒業生(生徒)にふさわしいか、この人と『同じグループ』としてほかの人に認識されても恥ずかしくないか」というところを見ます。受け答えや姿勢、そしてちょっとしたことで出てくる雰囲気などが重要かもしれません。これはそうそう簡単には変えられるものではないのですが、模擬インタビューを誰かにやってもらいその感想を聞いたりビデオで自分の姿・動きを確認するといいかも。話すときの癖で相手に与えるインパクトは大きく違ってきます。

2と3はほぼ同じことです。「なぜMBA、なぜこの学校?」という問いに対してしっかりと答えられることが大切。エッセイカウンセラーの作ったシナリオを提出エッセイにただ書いただけの人はこのあたりで信憑性が問われます。
学校によってはそのエッセイと関連した質問をインタビューの場で聞いてくることがあります。その際に3に書いたようにエッセイでの方向性とインタビューでの答えの方向性がぶれると大きなマイナスとなるでしょう。
対策としてはしっかり自分の書いたエッセイをインタビューの前に読み込むこと、そして考えられるであろう質問を自分であらかじめ列挙しておき、それに答えられるようにしておくことでしょう。

4はしっかりと相手の話を聞く事、聞かれている内容をしっかり理解すること、何を答えるのかを頭の中で整理してから話すこと、あたりが対策でしょうか。日常会話のように答えて対応できるだけの英語力がある人ならいいのですが、日本生まれ日本育ちのドメドメの人には難易度が高いです。話してしてめちゃくちゃな内容にならないように注意です。文法・語法のテストではないので僕の場合は自分の思っていることをわかりやすい言葉で表現するように心がけていました。

自分をエッセイやインタビューで無理やり飾るとボロがでやすいように思えます。自分の本来の人格を出し好印象をインタビュアーに持っていただくこと、自分のエッセイの内容を再確認すること、会話は一度頭の中で整理してから発言すること、それらをしっかりと行えばインタビューはうまくいくことが多いでしょう。もちろん合格に関しては競争相手がいるのでそれ次第ですが…

これからインタビューに望まれる方、悔いのないようしっかりとした準備で臨んでください。

少しでも参考になったようでしたら下のリンクのクリックお願いします。

0020/02/14

魂の声


今日のゲルギエフ指揮ウィーンフィルの演奏はすごすぎました。
うまいという表面的なもの以外に「魂の声」を聴くことができました。
それはチャイ6(悲愴)だけではなくプロコフィエフのPコン2番のピアニスト(Yefim Bronfman)からも衝撃を伴って心に響きました。

今までの自分の生き方やこれから進めていく起業をもう一度しっかりと見つめなおそう。そう思わせるだけの力を感じました。

いつも寸評を入れようと思うのだが、今日に関しては何もいらない。
唯ひとつ、「一生のうちに一度味わえるかどうかわからない魂の声を聴くことのできる演奏」を体験しました。

自分の仕事に魂を込める、その過程は芸術だけの話でなくビジネスや人の生き方にも通じる部分がある。このところ自分の気持ちに若干嘘をつきながらプランを作ってきたような気がする。

どうやったら会社として成り立つか、どうやったらお客さんがたくさん来るか、どういうお金の使い方をしていけばいいか、などなど。そんなことを知らず知らずのうちに一番の優先度を持って考えるようになっていた。


でも今日気付いた。僕の提供するものを使いたいと思う人に対して僕の「魂の声」が伝わるような熱いサービスを提供したい。MBAの知識や技術はそれを達成するための道具でしかない。そんな大切なことを軽視していた。

本当に大切なものや自分が生きていくことの証を考え直すこと、そして自分のやるべきことを魂を込めて取り組んでいる人に対して少しでも手助けになりたい。自分にしか出来ない方法で必ず…

とにかくやれることから一つずつがんばります。

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0020/02/13

AIDA@WIENER STAATSOPER


今日ヨーロッパは霧がひどく、飛行機が遅れたりキャンセルになったりと大変な一日となりました。僕の乗る予定だった飛行機もしっかりと1時間遅れとなりました。

ウィーンはやっぱり寒かったです。空港に着いたときは外気温ー2度。霜だらけで外が白い。
耳が痛い、頭がだんだん痛くなる、そして足の先からも寒さが。


そしてこの街は音楽に溢れています。コンサートは毎日たくさん催されているし、音楽好きにはたまらないお土産やもたくさん。(見事に僕もはまってしまいました)
モーツァルト、ベートーベン、シュトラウス、ブラームス・・・・・・彼らが見ていた風景の一部を今自分が見る機会を得られたことに感謝感謝。


街中の公園にあったモーツァルトの像を見た後シュテファン大聖堂へ。すばらしいゴシック建築を楽しんだ後軽く食事をしていよいよウィーン国立歌劇場へ。


建物のイメージはパリのオペラ座を若干スケールダウンさせた感じでしょうか。ただ座席からはちょっとした気品の高さを感じる。

そしていよいよ開演。

ズービン・メータが現れた。生メータにプチ感動した後ラダメス役のリチートラが登場。最初若干音がぶれたが、その後は甘い歌を聞かせてくれた。

今日の演奏でよかった点は、AIDA役のHui Heがとても力強い歌を聴かせてくれた事、リチートラの繊細な歌。そして斬新な舞台演出。ウィーン歌劇場のイメージとは違った斬新さが見事でした。

そしていけてなかった点はオーケストラ。まず全体的に音が大きすぎる。歌手の声が聞きづらいくらい大きかった。そして金管の音が割れまくり。ロンドンフィルの金管のすばらしさを聴いたあとだったのでその比較で「いけてない」度合いを高く感じる結果に。オケの音の大きさはひょっとすると歌劇場の作り自体の問題かもしれない。オケのスペースはある程度舞台で隠れることが多いのだが、ウィーンでは全体がむき出しになっている。その分音が全体に響きやすい。
オペラの楽しみ方の違いで、オケの音を主に味わうウィーンと、舞台上での歌唱やせりふを満喫するロンドン、みたいなものがあるのかもしれないと勝手な仮説を立てつつ、それでもしっかりと楽しんできました。

本物を5感で感じること、それを通して自分が小手先ではなく本物のサービスを顧客に提供したいと思えるよう人間力を鍛える、そんないい機会となっていると信じてます。

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0020/02/12

ウィーン前日



明日からウィーンに行ってきます。

目的は
1.ウィーン国立歌劇場でAIDAを観る
2.ゲルギエフが振るウィーンフィルのチャイ6(悲愴)を聴きに行く
3.街の雰囲気を楽しむ
の3つ。


今回のAIDAは贅沢。
指揮:Zubin Mehta
Amneris:Marianne Cornetti
Aida:Hui He
Radames:Salvatore Licitra
Amonasro:Marco Vratogna

特にSalvatore Licitraは僕の好きな歌手の一人。5年ほど前にMarcelo Alvarezと一緒にDuettoというCDを発売し、その美しさに完全にやられました。いまでも時折聴いては癒されています。もちろんZubin Mehtaの指揮もすごく楽しみ。


ゲルギエフの悲愴はCDも持っているがやはり生で聴きたいということで、根性入れて何とか定価でいい席をゲット。ムジックフェラインのグロッサーザールの空気を吸えることにも自分にとって「本物を知る」という大きな意味があります。先日のユロフスキー指揮ロンドンフィルのとの違いも一つの聴き所となりそうです。

ということで3日ほどウィーンでとろけてきます。

ちなみにSalvatore LicitraのCDは以下に。


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0020/02/09

5-a-side



今日は一年のときに同じクラスだった仲間とチームを組みフットサルの大会に参加。
学校のフットボールクラブが主催しているもので、MBAの学生だけでなくファイナンス系の学生、エグゼクティブクラスの人、そして学校のスタッフもチームを作り参加して来た。

去年同じような大会で16チーム中準決勝まで進んだメンバーたちと一緒にまたゲームができることにとても喜びを感じられる。正直結果はどうでもよく気持ちよくサッカーがしたかった。


で、結果は、惨敗。
僕個人は調子がよくて、仲間からのいいアシストが入るたびに点を決められたのだが、今回のチームは前回のチームとは異なり正規のゴールキーパーがいなかった・・・その影響もあり点を決めても決めてもどんどん取られ、最終的に負けた(ひょっとしたら自分のディフェンスへの貢献度が低かったのかも、と反省)。最後の方は僕自身もかなり気持ちが入って走り回ったのですが、完全な力負け。

終わってしまい悔しい気持ちもあったが、ここでの仲間とサッカーができる最後の機会に楽しくゲームができたこと、大切な思い出として残すことができて大満足でした。そして普段はクールに振舞う奴らが感情むき出しで一つのファールでかなり揉める、そんな一面を見られたこともよかった。


大学時代はサッカー部で強い友人関係を作ってきた。留学して最初に友達ができだしたのも学校が始まる前のサッカー部の練習だった。サッカーと言う共通の「言語」で自分を思う存分表現することで自然と濃い友人関係が作れたことがこのMBA留学生活を実りあるものにしてくれた。留学生活を通してスポーツのすばらしさを再確認できました。

これから留学する人はぜひ団体スポーツに参加することをお勧めします。
日本とは違ったチームの作り方、人間関係の形成の過程を経験できます。そして留学生活自体に素敵なスパイスを加えることができますよ。ホームパーティーよりも絶対スポーツ!

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0020/02/07

Professional



最近はまっている番組がある。
NHKで放映されているらしい、プロフェッショナル-仕事の流儀-。NHKスペシャルの後番組でしょうか?日本にいないため詳細はわかりませんが、この番組はいろいろと考えされられてとても面白い。
先日ひょんなことで昔の録画を手に入れたため、時間のあるときにチョコチョコとみている。
基本はいろんな分野で活躍されている人の仕事のポリシーやマインドセットを知ると言う番組です。ビジネス領域に限らず、スポーツや芸術領域の方の話も多く出てきます。

今日は、ずいぶん昔の録画だと思うが、量子テレポーテーションという技術領域研究の第一線で活躍されている古澤明さんにスポットを当てたものだった。量子テレポーテーションと言う技術を使用することで現存の電子情報伝達から光による伝達を可能にし、今のスーパーコンピューターをはるかにしのぐ性能のコンピューターの開発へとつながるもののようだ。

番組の中ではその人が仕事に当たる上でのポリシーが紹介される。古澤さんのものは「失敗を楽しむ」と言うものだった。最先端の研究では失敗する可能性は成功する可能性に比べ数十倍大きい。だからこそ失敗自体を楽しいものだと捕らえる。そうすることでその失敗の先に見える大きな成功(それは自分がそれまで意識していたものではない可能性もある)にたどり着ける。プロフェッショナルとはどんな状況でも楽しめる人だ、という言葉にとても感銘を受けた。

科学者と起業家はすごく似ている面があるように感じた。新しいもの、価値を創造すると言う意味で。僕自身いくつかビジネスプランを作っては壁にぶち当たるという出来事を何度か経験してきた。ぶち当たったときの衝撃は大きく、すべてがだめになってしまうような気持ちにもなる。しかしそういった出来事に向かい合って考えることでそれまでのアイデアと同等またそれ以上のアイデアを思いつくことが多々あった。

言うのはすごく簡単だが実際にそういう考えを持つようになるのにはかなりの時間が必要になるだろう。また心の支えも必要だろう。それが家族なのか、自分の信念なのか、そのあたりは人によって異なりそうな気がする。
その人に応じた「心の軸」を信じ、失敗を楽しむというスタンスで臨むことは成功への第一歩かもしれない、そう思えた。

とても有意義な50分でした。いろんな方の話を聞けることは間違いなく自分のプラスになる。そういうチャンスを逃さないことは大切ですね。


その後すがすがしい気持ちでRegents' Parkの周りを6キロほどジョギング。
今週末に迫っているクラス対抗フットサルに1ヶ月ほど前にエントリーされており、その準備の一環として。走っていると、おじさんがすれ違い際に微笑みながら一言。
There is Love here.


えっ???
どういういみ??

なんかの詩だろうか?
それともホ○?(それっぽい感じはまったくしなかったから多分違うと思うが…)

走りながら考えに考えたがやっぱりわからず。
疲れも感じることなく気がついたら走り終えていました。
There is Love here.....
なにかのキャッチコピーに使えそうですね。

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0020/02/06

La traviata



今日はRoyal Opera HouseでLa Traviata(椿姫)を鑑賞。ROH自体は今回で2回目。前回はカルメンでした。オペラの中で最も多く上演されている「椿姫」はストーリーと音楽のすばらしさを兼ね備えたすばらしいものです。
医療従事者的には肺結核の人が大勢の人が集まる場所でごほごほと咳をしたりほかの人と密に接したりするというハイリスクな行動が多くびっくりしたりもするのですが、それはまだ結核自体がちゃんと予防治療できていなかったときの話なので、やむをえないところでしょうか。


このオペラを知っている人にはわかりますが、主に3人の登場人物がいます。
ヴィオレッタ・ヴァレリー
アルフレード・ジェルモン
ジョルジョ・ジェルモン:アルフレードの父親
彼らの出来でオペラの出来が決まってしまいます。

そして今日はその3人の中でもジョルジョ(お父さん)役がすばらしかった。強弱のつけ方、相手の音域や音量に応じていい具合に音を抑えることで周りとのフィットも完璧。
バリトンということもあり重低音がよく効いたすばらしい声が客席全体に広がってました。本当にすごい。本当の主役であるヴィオレッタ、アルフレードを完全に喰っていました。

また、先日行ったLondon Philharmonic Orchestraのコンサートとは違い客層もよかった。フラッシュ撮影をかましていた一名をのぞいて、ですが。これはおそらくチケット代金の違いか。(オペラはクラシックコンサートの約4倍の値段がします)

この感動を身近な場所で感じられるヨーロッパは本当にすばらしい。
オペラ好きにはたまりません。
そして今日は頭の中でla traviataの曲が流れ続けることでしょう。

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0020/02/05

招かれざる手紙



先日、普段はなかなかお目にかかれないような手紙を受け取りました。
そのありがたい手紙はとてもきれいな紋章の入った封筒の中に。


開けると…
赤い文字がたくさんあってちょっとかっこいい。
黒、白、赤って色の組み合わせ、いいよね。


で、内容は


SUMMONS


さもん?サーモン?鮭?綴りが違う。
査問?左門?


どうやら裁判所への出頭命令のようだ。


なんか悪い事したか?と思いをめぐらす。
最近では信号無視くらいで、つつましい生活をしているはず。


手紙はWestminster地区の税金管理事務所から。税金滞納が続いているから2月13日に出頭しろという案内でした。
赤い字がシリアスな雰囲気を見事なまでに醸し出している。

イギリスでは学生は税金納付の対象とはならない。ただそのためには税金管理の事務所に必要な書類を送る必要がある。去年はCamden地区に住んでおりスムーズに税金の処理ができた。しかし今回は本当に厄介なことになった。

時がさかのぼること去年の10月。税金納付書が来たため学校の手紙と税金免除申請書、そしてVISAのコピーなどを事務所に送付。まったく音沙汰なし。
今年に入り、さすがに連絡が無いのも気持ち悪いので事務所に連絡。どうやら前回送った手紙が届いていないらしい。重要書類も満足に届けられないのか、この国は・・・(その連絡が遅れた僕にも責任はあるのかもしれませんが…)

ということで、もう一度それらの書類を送りなおした。その2週間後に冒頭の手紙をゲット。イギリスの裁判所、行ってみたい!なんて悠長なことは当然いえない。再び電話。電話の向こうの事務所の人は税金払えの一点張り。ああ、埒が明かない。


そんな経緯があり本日税金事務所で直接対決へ。
いままでの経験上、イギリスでは直接交渉が何かと有効だと学んだからだ。


学校から15分ほど歩いたところに事務所がある。
窓口が6個あり、それほど混んでいなかった。結果的に待ち時間0分で窓口へ。
今までゲットしてきた税金関係の書類たちを手に状況を説明。

状況を確認してもらうと、どうやら書類は届いていたらしい。それにもかかわらずSUMMONSレターが送られてきている模様。また、税金免除の手続きも完了しているらしい。パートナーの分は正規の25%だけ払えばいいとされているがこちらで収入が無いことが証明されれば100%免除となる。

現時点で自分の分の税金は全額免除されている。(にもかかわらず冒頭の書類を送ってきた事に関しては謝罪がありました)
残るタスクはパートナー分を全額免除にすること。当然うちの家はイギリスでの収入はない。そもそも収入があることの証明は簡単だが、収入が無いことの証明は難しい。
「収入無いのは証明できないけど、VISAがStudent dependantになってるでしょ?」とか、「去年はカムデンで全額免除になっていたんだけど」と言うようなやり取りをすること10分、向こうが折れた。

全額免除を勝ち取った。すがすがしい気持ちで学校の授業に出席できた。


今回のことで再確認したことは、イギリスでは窓口の担当者に与えられている権限が日本のものよりも大きいということ。裁量があるからこそ交渉したら何とかなることが多い。日本では間違いなくどの機関に行っても同じように扱われるがイギリスは違う。それは銀行の業務でもいえることで、担当者の気分しだいで簡単に口座が作れたり、異常なまでに身元確認され結果として口座開設を拒否されたりする。

やっぱり担当者が誰であってもある程度安定した結果が得られるサービスっていいなと再確認しました。

ちなみに裁判所への出頭は当然ながら免れました。
よかったよかった。


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0020/02/03

It's miracle!



今日はあまりにもありえないことことが起こったため、その話。

日曜日にもかかわらず授業のプロジェクトに関するミーティングがあり学校へ。思った以上に厄介なプロジェクトだったため2時間のミーティング時間ぎりぎりまで使用。
その後用事があったため地下鉄でピカデリーまで行こうと思いベーカーストリートの駅まで歩いていたときのこと。イギリス国内で使っているローカルの携帯がぶるぶると震えているので手にとってみると+81発信。つまり日本からの電話だ。

誰かなと思いながら出ると「ああ、○○ちゃん?」とおばちゃんから知らない名前で呼びかけられる。自分ではないので日本語で「違いますけど」というと「あれ?大阪の××ですよ」と言われる。でも知らない名前。関西出身ということもあり知り合いがいるかもしれないなと何度も考えたがやっぱりわからない。「すいません、番号間違えられてませんか?」と答えると「あら、すいません」と言って電話が切れた。そのあと何度も考えたがやっぱり思い当たらない。



この出来事自体はぜんぜん珍しい話ではない。ただし日本国内の場合は。そこにミラクルが。



イギリス国内で買った+44の携帯番号になぜ日本語の間違い電話??おそらく+44から始まる携帯番号は大量にあるだろう。一人一つ携帯を持っているのが当たり前なのは日本と同様。そのうち日本語が完璧にわかる人にかかる可能性はいったい何%くらいあるだろうか。間違いなく1%以下だろう。下手したら0.1%以下かも。誰かがいたずらでかけてきた、勝手に僕の携帯番号を自分の番号として教えた、などの人為的なものが無ければこれは間違いなく奇跡です。


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0020/02/02

ロンドンフィル



先ほどロンドンフィルのコンサート鑑賞から帰宅。

今日の演目は
Mark-Anthony Turnage: Lullaby for Hans
Hans Werner Henze: Seconda Sonata per Archi
Johannes Brahms: Violin Concerto in D
Peter Ilyich Tchaikovsky: Symphony No.6 (Pathetique)
最初の2曲はイギリスじゃないとなかなか聞かない演目。ブラームスのバイオリン協奏曲はむかし日本でどこかのオケがやっていたのを聴きに行ったことがある。そして悲愴は何度行ったかわからないほど聴きに行っているし、お気に入りの曲の一つ。何百回も聴いているこの曲を聴くことでロンドンフィルのよさ悪さを判断できそう。


そして今日の感想は「いろんな意味ですごかった」。


まず指揮者。
今日はロンドンフィルの常任指揮者であるウラディーミル・ユロフスキが指揮。
彼の指揮は一言で「セクシー」。
指の先まで動きが滑らかで切れがある。ここまで動きがきれいな指揮者はみたことが無かった。同じロシア出身のゲルギエフとはまたタイプが違うすばらしい指揮者。チャイ6を指揮したときにはいい意味で「ロシアっぽいな」という感じはしたが、それ以外の演目ではかなり「芸術性」を重視しているように思えた。きれいな音楽を表現している。魂タイプのゲルギエフと美追求型のユロフスキーという印象。
とにもかくにもユロフスキーのセクシー度合いの少しでも見習いたいと思わざるを得ないでした。これからもっともっと大物となっていくことは間違いないでしょうね。

バイオリンのソリストはクリスティアン・テツラフ。彼はおそらく今回の演目のブラームスVコンみたいな激しいタイプの音楽よりも滑らかで情緒のあるタイプの音楽の方が合っているような気がしました。バッハの無伴奏なんかの方がいいんじゃないでしょうか。
今回は力が入りすぎたのかVコンの3楽章の入りでいきなり弓のHairを思いっきり切断。あわてて裏の楽屋まで予備の弓を取りに行くというハプニング付でした。

そしてロンドンフィル。
悲愴は木管楽器、金管楽器のよしあしが全体の出来を決めることが多いがこれが本当にすばらしかった。木管は最初の方のフルートがかな~~り怪しかったが、その後は持ち直して素敵な音色を奏でていた。ファゴットとクラリネットは秀逸。
それにも増して金管楽器には驚かされた。こんなに繊細な金管の演奏があっていいのだろうか?と思わず聞きたくなるくらいのすばらしい演奏。音の一つ一つ丁寧にかつ指揮者の滑らかな指揮に負けないくらいのスムーズな音出し。今まで聴いてきた金管で間違いなくNo.1!
弦楽器やパーカッションに関しては期待していたとおりのすばらしい出来だったので新たな発見という感じではなかったが、とにかく金管のすばらしさに涙が出そうなくらい感動。


ここまではよかったのだが、観客が本当に3流以下だった。いろんな都市(日本に限らず)で学生オケも含めていろいろ鑑賞してきましたが、ここまで質の悪い客は初めてだった。

1.悲愴第4楽章の終わりかけ、音がだんだんフェイドしていくときに携帯の音を鳴らす奴がいた。これは本当に最悪。7回近く鳴らし続けるという「暴挙」でした。小説を読んでいる人にその結末を先に教えてしまうことよりも最悪。「この静寂に至るシーンを聴くために」来ている人もいるくらいの大事な場面での出来事でした。

2.悲愴が終わりカーテンコール中にぞろぞろと席を立って帰る奴らが続出。それも若い人ではなくある程度年齢の行っている人たち。信じられない・・・これはマナー違反じゃない??演奏者に本当に失礼。金管をはじめとして本当にすばらしい演奏を聞かせてくれたオケに対してその仕打ち?これには本当にびっくりしました。

3.拍手タイミングのミス2度も。ブラームスVコンの第一楽章が終わるといきなり結構な拍手。おいおい、そのタイミング??この人たちひょっとしてこれでブラームス終わりだと思った?たしかにあまりの熱演に対して特別に楽章の間で拍手が起こることはまれにありますが、そこまでのものではなかったはず。当の指揮者が拍手が起こったことに驚いていましたから・・・。まあ、すばらしいと思った人が多かったんだろうと心の中で処理したのですが、その後チャイ6の第3楽章が終わったあとにまたもや。たしかに悲愴の第3楽章は盛り上がり方、そして最後の決め方がほかの交響曲で言うところの第4楽章っぽいところはある。それは認めるが・・・。でも2度目はいかん!それに悲愴はメジャー中のメジャーでっせ?せめていくつの楽章があるのかくらいパンフレットにも書いてあるんだから先に読んでおいてくれ~。
客の質が悪い事を見抜いていたであろうユロフスキが今度はそんな拍手にはまったく動揺せず3楽章と4楽章の間をあまり取らずスムーズに移行。えっまだあるの?って感じで拍手がぱらぱらと無くなっていった。ありえねぇ~


クラシックの鑑賞は一般で思われているほど堅苦しいものではない。ただ、最低限守っておかないといけないルールは知っておくべきだろう。クラシック音楽が盛んなヨーロッパのロンドンでまさかそんな基本的なことができない客が大量にいるとはびっくりさせられた。



話は戻って、ロンドンフィルは間違いなく一流のオケで指揮者も今後世界のクラシック音楽界を引っ張っていくような存在になる可能性を秘めている。もしロンドンに住んでいる、また行く機会があったら時間を作ってぜひロンドンフィルのすばらしい音楽を楽しんでみてください。

来週は久々にRoyal Opera HouseでLa traviataを鑑賞してきます。たのしみ。

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0020/02/01

マラドーナの神の手謝罪報道





先日日本のスポーツ新聞で扱われていた記事にびっくりした。

「マラドーナ、神の手ゴールを謝罪」



1986年のWカップメキシコ大会、イングランド対アルゼンチンの試合で2つの記憶に残るゴールが生まれた。一つは今なお語り継がれるスーパープレーである5人抜きゴール、そしてもう一つが「神の手」ゴールである。フォークランド紛争で両国が異常なまでの敵対心を持っていたこと、そして試合が2-1でアルゼンチンの勝利となったことを考えてもこの二つのゴールはサッカー史上もっとも有名なゴールといってもいいだろう。

画像を見てもらったらわかるがれっきとした「ハンド」です。審判がこのプレーを見逃しゴールを認めたことと、試合後にマラドーナ自身がそのゴールのことを「神の手とマラドーナの頭が決めたゴールだ」と言ったことでイングランド人の怒りを増強させた。


そのゴールについてマラドーナがはじめて謝ったという記事を日本のスポーツ新聞のサイトで見つけたからびっくりした。それにしてもそのニュースはイギリスではまったく扱われていない。間違いなくビックニュースであるにもかかわらず。BBCやSkyのスポーツ欄にはその情報はない。
これはおかしいと思い、日本のメディアの情報源として使われているメディア名を確認すると「英大衆紙サン」とある。ああ、サン、ね。そこで妙に納得。

イギリスにおけるサンの信憑性は日本における東スポ一面を飾る「~~~~か?」パターン記事のあたり。この記事はおそらくサン必殺の「憶測記事」だろう。イギリスのサッカー関連の記事ではよくあることだ。

マラドーナが現在イギリスに来ていること、チェルシーなどの施設を見学して遊んでいることからマラドーナがイギリスでの監督業に興味を持っていると「推測」。さらにイギリスにおいてマラドーナの評価は神の手ゴールによってあまり好ましいものではないという「状況」を考えると彼が神の手ゴールについて謝罪してもおかしくないという「予想」があり記事となったのか?真相はわからないが…


医療界ではエビデンスが重要視されるが、たまにいい加減なデータを使った推測論文も存在する。情報源の信憑性をしっかりと確認することの大切さを再確認するいい機会となりました。

実際マラドーナは神の手ゴールについて今どういう感想を持っているのか、ちょっと聞いてみたいですね。


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